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「歌舞伎の起源」百済技楽、困難極める復元作業
「百済技楽伝承保存会」(オ・テグン会長)の会員は、日本に行くたびに心苦しい思いをするという。失われた百済時代の技楽のルーツを探るため、私費で日本を訪れ、研究に力を注いでいるが、作業は困難を極めているからだ。
百済技楽は6世紀頃、百済の庶民が行っていたと推定される伝統仮面劇だ。日本書記には、612年に百済人ミマジにより日本に伝えられたと記録されている。日本では伝統劇の舞楽や歌舞伎などの起源は、いずれも百済技楽であるとしている。しかし、国内で百済技楽の資料が不足しているうえ、研究者が無関心であることが伝承を困難にしている。
さらに、はっきりとした記録のない1400年前の踊りを復元するのは、新しく創造する以上に難しい作業だ。幸い、百済技楽が日本の伝統演劇の母体となっていることから、会員たちは2003年から毎年、奈良、東京などで現地調査を行っている。基礎資料の確保と比較研究がある程度可能であるからだ。
このような会員たちの渾身の努力の結果、ゆっくりであるが少しずつ成果が現れ始めた。保存会は最近、20種余りの百済仮面劇を復元した。しかし、衣装、舞踊、楽器、音楽など今後残された課題は山積みになっている。そのためにかかる費用も大きな足かせになっている。
技楽伝承保存会が発足したのは2003年。シム・ウソン公州民族劇博物館長をはじめ、志を共にする忠清南道地域の芸術家たちが1人2人と集まって始まった。現在では演劇家や国楽家など20人余りに増えた。保存会は最近に入り、百済技楽の伝承に力を注いでいる。保存会は公州コマナル郷土演劇祭、百済文化祭などに相次ぎ参加、完全な形ではないが一般大衆に技楽を公開している。オ・テグン会長は「自治団体と住民の理解と関心が必要だ」と話した。
ウ・ジョンシク記者
http://www.chosunonline.com/article/20060910000028